もう、戻れないのだと刻みつけるように繰り返す。その度に塗り重ねられていく焦燥感に、呼吸を忘れてしまいそうになる。今にも飛び出しそうな思いを、俺の無意識が封じ込めようと足掻いている。忌々しいことだ。ティーカップの表面を撫でる。滑らかな陶器は、リヴァイの指を静かに重力に誘った。
「この上着ちゃんと洗いました?」
背中に、微かな温もりを感じる。手のひらでゆるく黒い布地を撫でたは、いやに明るい声でそう言い放った。片眉を引き上げたリヴァイは舌打ちで応える。
「洗濯もマトモにできねぇのか、あいつらは。」
「まあ、血は落ちにくいですから…。」
ちょうど翼の紋様のあたりが黒ずんでいる。手のひらで触れるとざらついた表面が歴戦の数を物語った。一体、この上着はいくつの死体の血を浴びてきたのだろう。どれだけの敵の、味方の、そして兵長自身の血に染まってきたのだろう。そして、これからは―。涸れたはずの涙がみるみるうちに視界をぼやけさせる。
もう泣くものか。
はぐっと歯を食いしばった。
すると、リヴァイが振り向きもせず後ろ手にの手を引き、自らの背中に引き付ける。リヴァイの黒髪がの鼻先を掠めた。
「よ、やらしい手つきで触るな。」
「…何言ってんですか、ぶっとばしますよ。」
「俺を最期の最期まで昇天させてくれると言う訳か。なんとも有難いことだ。」
「もう体ガタガタなんですけど、私。」
「鍛え方がなっていない。」
はリヴァイを抱く手に力をこめた。バカバカしい会話、まるで平穏な日常を錯覚させるような。それなのにちっとも笑えない。
時間が残されているというのならば、今この場でもう一度体を重ねたっていい。いくらでも彼の欲望に応えよう。温もりを忘れないように、刻み付けて。最後だなんて、言わないで。
さて、とリヴァイが立ち上がる。
「帰ってきたら、また楽しませてもらおう。」
「部下に手を出したってこと、忘れないで下さいね。」
「ああ。」
「帰って来なかったら、皆に言いふらして歩くので。」
「一体何人の馬鹿が、お前の言葉を信じることか。」
の腕に手を掛けながら、リヴァイは体を反転させた。挑むようなの視線に貫かれる。逃げるように、リヴァイはの後頭部を自分の胸に押しつけた。
もう一度、君に会えるだろうか。誰に尋ねることも出来ない問を、心に浮かべる。柔らかな栗毛が、指先をくすぐった。じわりと、の呼吸が熱い。
「いってらっしゃい、兵長。」
ただいまの前に
言いたいこと
世界の終わる日。兵長は多分もう帰ってこない。