それはちっぽけなのに、指先を麻痺させるほどに重いスイッチだった。









さらば愛しき人よ、


どうか幸せに










「で、これでありますか。」


昼下がり。
俺達5人は思いっきりクーラーの効いた隊長の部屋で額を付き合わせている。ドロロ兵長もいるのだから、抜かりはない、5人だ。10の視線がなみなみと注がれているのは小さなスイッチ。白い土台に、これまた白いカバーを被せたシンプルなデザインのそれは勿論俺が作ったもので、デザインに合わせて黒いインクで描かれた小さなマークが制作者(つまり俺)を静かに主張している。大きさは、ちょうど俺の手に収まるくらいだから、ケロン人なら大体手の平サイズだ。


「ほ、ホントにやるですかぁ?」


うっすらと目に涙を滲ませて、タママ二等兵が震え声を発した。同調するようにオッサンが唸る。すると隊長が腕を組んだまま、すかさず説明を始めた。




『もう、これ以上の危険はナシにしたいのであります。』




3日前の隊長が再び脳裏に蘇る。
今思えば、それは何気ない日常のワンシーンが非日常の世界へと切り替わった瞬間であった。一本調子の言葉は俺に不意打ちを食らわせ、向けていた背に突き刺さる視線には思わずたじろいだ。振り返る、純粋な造作。頼まれたらどんなものでも作ってみせる、それは俺から隊長への確かな忠誠と尊敬の証明のつもりだった。俺は、いつだってそうであったけれど、あの日も隊長の依頼を二つ返事で引き受けて、そして完成させたのは純白のボタンだった。ウェディングドレスか、白無垢か、いや、俺がイメージしたのはそんなモンじゃない。




「んで、やるの、やらないの。」

「致し方あるまい。遣らざるをえないでござろう。」




涙と、迷いと、決心と。
それぞれの思いが複雑に絡み合ってこんがらがって、やがてひとつになる。やるしかないのだとドロロ兵長が言った、その言葉の重みが量り知れない。大切な人を守るためだと、隊長は自分を宥めるように静かにそう言って、オッサンがゆっくりと頷き、タママ二等兵が涙に声を詰まらせて、それでも首を縦に振る。満場一致だ。

俺は手を伸ばしてそっとスイッチを手に取った。
これがベターなのだ、と隊長の声がした。白い塗装を撫でる。みんなのこんがらがった思いが、ひとつに集約する白亜。





「ケロロー、入るよ?」





みんな一斉に扉を振り返る。何せ、地球人の連中が一様に外出する時間を選んでいたのだ。驚愕の視線が一人の少女に痛いほど鋭く突き刺さって、少女も予想外の光景に後退りする。


ど、の…何で」


隊長が声を震わせて、まるで憑き物でも見るかのようにを指差した。


「いーんだよ、俺が呼んだんだから。」


異様な雰囲気を感じたからであろうか、そろりと玄関に向かい始めた足を、名前を呼ぶことでその場に張り付かせる。来い、と、手招きすると、はこれまた恐る恐る円座までやってきて、俺の斜め後ろに腰を下ろした。大方、変な作戦の実験台にされるのではないかとか思っているんだろう。当たらずとも遠からず、である。


「ほい。」
「な、貴様、何をする!?」
「静かにしてろよ、大事なシーンだ。」
「クルル!話が違うでありますよ!」
「隊長も。」


困惑に揺れる瞳が、俺を捕らえて離さない。桃色の唇が小さな言葉を紡ぐ。うっとりする音に俺は叫びだしたくなる衝動を押さえ付け、声を荒げはじめた連中はそれに聴き入った。


「キミ達と離れたくなければ、このスイッチを押すこと。これが作動するとこれまでの思い出がぜーんぶ頭の中にある宝箱に仕舞われて絶対に消えない。これで永遠が保証される…だよね、クルル?」


俺はいつもの通り笑って、頷く。はほっとしたように笑った。








「ク、クルル!!何で殿にあんなこと…っ!」
「じゃあ誰がアレを押すってんだ。コレは逃げじゃねえ、俺はそんくらいの決心で」
「それでも貴様がを騙して、スイッチを押させたということに変わりはなかろう!」
「大体、なんで僕たちな記憶は消えないですぅ!?これじゃ僕、寂しくて辛いですぅ…。」
「神妙にいたせ!クルル殿!」
「クーックックックッ!アイツは自分で望んでスイッチを押したんだ…俺たちの中の誰かがスイッチを押したんじゃ、地球人サイドが理不尽だろ。何も知らないうちに記憶を消されるなんてな…。」
「『選ばせた』のではないだろう!お前が、にスイッチを押すように『仕向けた』!」




消えない思い出に苦しめられ、あがき続けるこれからの日々は一体どれだけなのだろう。もう繰り返すことのないように。こんな悲しい結末を、再び迎えることのないように、記憶は欠片も壊してしまうことなく守って。




「こんなことになるくらいなら、いっそ出会わなければ、とでも言うのか。」




俺はの頬をサイゴにそっと撫でた。