「少佐、出動は明後日未明も決定したので心構えをしておけ、とのことです。関連書類は全てまとめてボックスに入れておきました。ご確認をお願いします。それから、」

「あー、あー、りょーかいっと。…ん?何か言いかけたか?」


若い通信兵を映したモニターが、弾かれたように暗転した。
黒のディスプレイは沈黙、反射するのは、これでもかとばかりにふんぞり返って座るクルル少佐の姿だけだ。”DEL”ボタンに乗せられた足がきまり悪そうに宙をかいたが、クルルはたちまちキーボードの上に足を投げ出した。


「全部PDFで送りやがれってんだよなあ。」


胸の前に組んでいた腕をゆっくりと頭の後ろで組み直しながら、クルルは苛立たしげに呟いた。勢いに任せてチェアを左右に揺らす。

わざわざ起き上がってオフィスのドアをくぐって書類を手に入れ、それから何十ページにも及ぶ紙の束を一枚一枚捲れ、と?馬鹿馬鹿しいことこの上ない。世の中で最も大切なことのうち、5本の指に入るのが効率化だ。古臭い方法を使い続ける限り、進化は期待できない。

クルルはため息を一つこぼしてデスクから足を下ろし、ゆっくりと立ち上がった。

これだから、上の連中は上手くやれねーんだ。
紙の保存性なんざ、書庫で誰かがマッチ一本を手を滑らせてしまうだけで、塵に等しくなる。

ディスプレイのデジタル時計はまもなく昼を指そうとしていた。

ともかく、今はこんなことに文句を言っていても仕方がない。
少佐である自分には、まだ十分な権力が備わったとは言えない。
やり方を変えるのは、将校になってからでも遅くはないのだ。

クルルはドアに足を向けた。


耳障りなブザー音が聞こえたのは、まさにその時であった。




「クルル少佐、失礼します。」


控えめなノック音が2回、それから聞こえてきたのは女の声だ。反射的にモニターに目をやると、そこに映っていたのは若い、女のケロン人。来訪者の予定は、勿論聞いていない。

クルルは素早く後ろ手にキーボードを手繰り、ドアにロックをかけるコマンドを入力した。するとクルルの思惑通り、次の瞬間にはロックの掛かったドアが開こうとして、やはり開かない、金属音がオフィスに響き、モニターに映る女は怪訝そうに眉をしかめ、手元のクリップボードとドアの横に表示された文字列を確かめるように何度も視線を行き来させた。

クルルのオフィスへの来客は少ないのだ。
ほぼ無い、と言っても良い。
それは直接のコミュニケーションを極端なまでに嫌うクルルの態度、あるいは、年若くして少佐にまで上り詰めた彼の傲慢な振る舞いゆえのことなのだ。

”在室”のランプをしっかりと見つめた女は、決心したように表情を固めると再び口を開いた。


「クルル少佐?」


クルルは静かに外部マイクの電源をONにした。


「あー、誰だ。」

「誰って…今朝、連絡があったはずですけれど。」


ドアの向こうに立っているであろう女は、もう一度クリップボードに視線を落とすと、確信を持って迫ってきた。

”今朝、連絡があったはずですけれど。”

”…とのことです。関連書類は全てまとめてボックスに入れておきました。ご確認をお願いします。それから、”

記憶のテープを巻き戻す。
思い起こしてみれば、確かに通信兵は最後に何かを言いかけていた、かもしれない。

なんだってここの連中は面倒なことばかりしたがるんだ。
馬鹿げているとしか、言いようがない!

クルルは舌打ち混じりに、再び先ほどまで腰を下ろしていたチェアに歩み寄り、乱暴に腰かけた。


「入れよ。」


肘掛に頬杖をついて、ドアのロックを解除する。
オフィスのドアは、音もなく滑るように開いた。


「…失礼します。」


モニターの女が画面の端に移動し、やがてカメラの視界から消える。その代り、実物がつかつかと音を立ててオフィスに現れた。
限りなく赤に近い濃いピンク色のボディに、濃紺の帽子を身に着けて、表情には少しの不機嫌が見え隠れしている。

―濃紺の帽子、あれは。

クルルの前まで来ると立ち止まって、冷めた目でクルルを眺めながら、女は口を開いた。


「はじめまして、クルル少佐。軍医であります。今日付けで少佐の部隊に配属になりましたので御挨拶に伺う、とお伝えしたはずなのですが、通信兵はどこかで頭でもぶつけたのかしらね?」


書類は間違いなく届いているようだけれど。

はそう付け加えると、外のボックスにあったであろう書類の束をクルルに突き出した。一番上の書面には、の顔写真が見える。


「まあ、何はともあれ、よろしくお願いしますね。」


はすらすらと、呆れた口調で言い切った。
いつも通りの仏頂面を更に歪ませて、頬杖をついたままクルルは突き出された紙の束を受け取る。返事をするつもりは、さらさらないようだ。

はこれ見よがしにため息をつくと、踵を返した。
歩くにしては早いスピードでドアまでの距離を突っ切る。そのままオフィスを後にするかと思いきや、思い出したように立ち止まるとくるりと振り返った。


「言い忘れてましたけれど、軍医監が将校相当だってこと、お忘れなく。クルル少佐!」

「…あ?」


”少佐”を強調してそう言い捨てると、は満足げに笑って去って行った。もう戻ってくることは無かった。残されたクルルは、手元の書式に目を落とす。

、軍医監、将校相当の権力、こんな奴が、俺の隊に?
あんなふざけた女が?

クルルはデスク目掛けて無造作に書類の束を投げ出した。